令和元年5/18~23に国立登山研修所春山リーダー研修に参加してきました。
(多少ふざけているので、それを踏まえて読んでください)
~序章~
迫りくる中間試験を泣く泣くあきらめ、向かった先は通称「文登研」こと監獄、刑務所、いやアルパイン矯正施設といったところであろうか。ここには全国各大学のワンゲル、山岳部員が集い、6日間通して山への向き合い方を教え込む、我が国トップレベルの研修である。聞くところによると研修中は、常に講師からの厳しい激が飛び、時にはピッケルで殴られ、テン場までは必ずダッシュ、するという怖~い噂??があるほど、知る人ぞ知る厳しい研修会なのである。なんでそんな研修に参加したかって? ドMを極めたくて? いいや、雪山P復活。そして、リーダーとしての素質を磨くためだ!
前置きはこれくらいにして…。2年会石川
5/17(金)移動日
必修5限という謎な授業を早めに切り上げ、速攻帰宅。3時間ほどでパッキングを終わらせ、バスタ新宿に向かう。この時はまだ不安4割、たのしみ3割、試験3割という状態。まだこの時は「絶望」って項目がない(笑)
バスタ新宿に到着すると、でかザックを持った大学生らしき人がちらほら。中でもガッシャーをもった2人組は顔が真っ黒で、完全に百戦錬磨の猛者だ。不安に駆られながらもバスで就寝した。同行したゆうたろうはいつも通り、けろっとした顔。相変わらず不思議だ。
※ガッシャー:石井スポーツオリジナルブランド「PAINE」の荷物を入れることのみ考えた袋of袋。腰ベルトは“お飾り”らしい。冬山ではその実用性が光る。
⇐今では私もお世話になっております(笑) 追記:2021年
5/18(土) 研修会初日
4時ごろ富山駅に到着。当分“しゃば”には出られないから美味い物を食べよう、と辺りを探すも、結局安定の吉野屋へ向かう。その後バスでの疲れを癒すために銭湯に寄り、立山駅に向かった。
1時間に1本の電車なので、立山駅に着くと一斉にでかザック集団が降りる。(あれっ意外とガッシャー率低いなぁ。)立山駅から徒歩3分、重々しい門を構えた施設が。そうここが文登研なのだ。
門をくぐる瞬間に、他の研修生が一言。
「今日から1週間、収容されるのかぁ」←(笑)
到着後すぐに研修費を支払い、部屋割り、班分けを確認する。ここで発表された班は山中をともに過ごし、耐え抜く戦友なのである。
(概念図テストに備えて)
私は2班で、計6名のうち大学2年2名、大学3年3名、社会人1名であった。
同行したゆうたろうは3班に配属された。さらば、ゆうたろう。
すでに到着していた班員とともに、14時から始まる開会式へと向かう。開会式会場では所長のありがたいであろう挨拶を聞いた後、講師紹介に移る。講師の方々は雪焼けで顔は真っ黒で、腕は常にパンプしているのではというほどの強そうな面々ばかり。
実際、文登研の講師は日本トップクラスのアルパインクライマーやスキーヤー、富山山岳警備隊の方々なのである。ここで自分の班の講師と対面する。
なぜか冬研経験者のやつは絶望した顔をしていたが、私にはまだその理由を知る由もなかった(笑)
こうして春研の幕は開けたのである。
開会式後すぐに概念図テストが実施された。自分が希望するルートを含む地形の概念を暗記し、10分間で何も見ずに白紙に書き起こすのだ。前日に焦って暗記したおかげか、描き切ることができた。
概念図テスト後は班別に集まり、ルート選択、KYシート作成、食料計画、団体装備の確認を行った。
ルートは話し合いの結果、「1、BC~長次郎谷~源次郎尾根Ⅱ峰~剱岳~平蔵谷下降~BC」「2、BC~平蔵谷~インディアンクーロアール~源次郎尾根~剱岳~エビルンゼ~平蔵谷下降~BC」の2つを選択。
また食料は、各自計画してきた食料計画をカロリー計算を交えながら入念に選ぶ。自分はうどんと麻婆ナスを提案したが、うどんが朝食に選ばれることになった。班員6人のうち3人が麻婆なんとかを計画してきたのには笑ってしまった。
こうして食料計画を決めた後、持参するガス計算を行い、食料店に食料を発注した。最後に団体装備を選び、この日の研修は終了した。
※KY訓練とは K:危険、Y:予知 についてルート内を分析し、計画書を作成する訓練 ※BC:劔沢に張るベースキャンプのこと ※クーロワール=ガリー=ルンゼ 急な岩場にある大きな岩溝。この3つはほぼ同義。 (ちなみに、“団装”or“共同”論争があったが、ワンゲルが団装、山岳部が共装らしい。)
5/19(日) 研修2日目
この日は数少ない座学である読図講習を受けたのち、屋外にある人工岩場でロープワークを行った。ここでは事前課題である全てのロープワーク課題を、設定された時間以内にすべて行えるかどうかがテストされる。もちろん、自分が申告した秒数以内にできなかった場合、それに相当する罰が与えられる。
こうしてロープワークの基礎を確認した後、人工岩場で懸垂下降、FIX工作、リードを行った。
(パッキング室)
その後、個人装備チェック、団体装備分配、ぺミカン作りをし、来たる明日の入山に備え、パッキングをする。
個人装備では班の友人のアイゼンが短くなりすぎとの理由で交換させられていた。
講師曰く、アイゼンは毎山行ごと交換したいほど重要なものであるらしい。それにしても同学年であるのにそこまで削れているとは恐るべき山行経験である。
こうして屋内研修はすべて終了した。
※ぺミカン:肉や野菜に火を通した後バターやラードで炒め、冷凍した雪山ならではの保存食。凍ることを前提としており、雪渓の下に入れて保存する。
5/20(月)研修3日目
天気:晴れ→雨&強風 入山日
↑後ろの山は何かわかるかな?(笑)
この日は登山研修所からケーブルカー、アルペンルートを用いて室堂に入り、班ごとに研修した後、ベースキャンプを張る。つまりフル装備で荷揚げし、雪訓するということだ。
今回、自分の団体装備はハーフロープ、スノーピケット、ガス管、7人用テント、スノーソーなどなど。決して重かったとは言わない(笑)
9時半ごろ室堂に到着し、20分ほど高度順応した後、雷鳥沢経由で劔沢へ向かう。
雷鳥沢の登りはかなりキツく、自分の体力不足を実感した。疲れて、雪面を蹴りこまないと崩れてしまい、もっと疲労する。こんな悪循環に対し、後半はとにかく足を蹴りこんだ。
雷鳥沢は名前の通り、たくさんライチョウがみられる。最初の2、3羽以降、珍しいと思わなくなってしまった(笑)
雷鳥沢の登りを過ぎ、別山乗越に到着後、別山方向の稜線で雪訓をすることに。
ここでは主に下降時に用いる支点構築(ボラード、土嚢袋)、スノーピケット、ハイマツでの支点の取り方を学んだ。 その後、実際に各自ボラードを作成し、劔沢方面に1ピッチ懸垂下降し、その後はシリセードで下降した。
(ボラード)
(ボラードで懸垂下降)
雪訓後、BC予定地近くの夏山前進基地までダッシュの指示が。 👿
これはかなりしんどかったが、何とかテン場に到着してテントを設営した。
この日は夜から明け方にかけて天候の悪化が予想されていたため、雪上班は全班夏山前進基地周辺に幕営することに。 テント内では、天気図作成、エッセン・水作りを行い明日に備える。
予報通り夜から天気は大荒れに。
我らが2班は夏山前進基地の隣に防風壁なしでの幕営だったため、風にあおられテントポールが折れそうになりテント内では皆で必死に抑えていた。
更に高度順応の不足か、班員のほとんどが頭痛になる。これは絶対に高山病だ。班員の助言のもと水を飲むと、割とすぐに楽になった。
こまめに、そして時にはたくさんの水分を摂取することはとても重要なんだな。
こうして荒天&頭痛の中、よくわからない状態で就寝。定期的に外に出て張り綱をチェックするようした。←これ地獄ね。
5/21(火)研修4日目
天気:雨、強風→晴れ
強風により半ば強制的に目が覚めると(いや、寝ていたのかどうかもわからないが)、とにかく天気は最悪。さすがに外には出られないので天候が回復するまで停滞することに。その間に朝食と装備点検、水作りを進める。
さぁ、この時停滞を喜んだものは班内に何名いたことか……なんてね(笑)
起床から6時間後の10時には天候が回復し、行動を開始することに。あれほどの荒天が急に快晴になるとは山の天気は恐ろしい。
この日の雪訓はまず自己確保のためのバケツ掘り特訓から始まり、その後は登攀練習を行った。
登攀では、別山稜線に向かってルンゼをスタカットクライミングで登攀した。
班内で3人1組で計5ピッチ行い、うちリード3ピッチ、ビレイ2ピッチを任された。斜度ある雪上をアイゼンを蹴りこみ、ピッケルを打ち込みながら登攀することでの疲労のほかに、雪上での支点構築やそのたびに行うバケツ掘りでの疲労が加わり、全ピッチ終了するころにはかなり疲れていた。支点はほとんどをスノーピケット横埋め、一部の中間支点をハイマツでとった。
こうしてルンゼを詰めて稜線に乗ると、そこは別山山頂(2874m)であった。
登攀の途中に地形図を見る余裕などはない。地形をすべて把握し、登攀中にも余裕ある判断ができるほどの体力が必要だということを実感したのである。
(別山に向かって登攀中のメンバー)
(別山山頂)
(ビレイ・リードのパートナーと。実はこいつがバスタのガッシャー野郎だった笑)
別山山頂は稜線特有の冷たく強い風が吹いており、展望は良好。
手短に休憩をとった後、BCに向かって雪庇の張る稜線を歩き、最後はシリセードで下降した。残雪期だが、割と大きな雪庇が残っていた。
その後、恒例?のテン場ダッシュをして、テントを撤収した後、再度雪上に幕営した。(テン場ダッシュはうちの部に取り入れてもいいかも?)
幕営では、整地・ブッロク切り出し、ブロック積みを分担して時間制限の中で行った。
特に、「幕営とテント内整理は山中の半分を占めるからしっかり行なわないと、自分の体力や精神に影響が出る」という講師のお言葉はとても心に響いた。ここでは何度厳しく怒られたかわからない。それほど重要なことなのだ。
それと、夕食のキムチ鍋はめちゃくちゃうまかった。エッセンは人を救う?!
(剱岳とBC)
(別山とBC)
食後は講師と班内で話し合いをし、アタック時のルートを2の「BC~平蔵谷~インディアンクーロアール~源次郎尾根~剱岳~エビルンゼ~平蔵谷下降~BC」に決定した。
本研修では毎日リーダーを交代で務めるのだが、アタック当日は私が務めると決めていたので、夜以降、緊張が解けることはなかった。因みにこの日は地形を考慮して、ビーコンをONにしたまま就寝した。ビーコンの電池は常に確認。
5/22(水)研修5日目
天気:快晴 アタック
朝、2時半起床。朝ではない(笑)
起床してすぐに、メンバーのSPO2を計測する。
朝食後、アタック装備、登攀具、ビーコンのチェックを終え、夏山前進基地で講師と合流して行動を開始した。無論ヘッデン行動。
朝の劔沢雪渓は雪面がクラストしておりアイゼンがよく効き、とても歩きやすかった。30分ほど下り、平蔵の出合いに到着。衣服調節をした後、平蔵谷を詰める。これが思っていた以上にしんどい。
リーダーは常に落石の筋やクラックに目を配り、パーティーの隣を並走するように歩く。特に、斜度がきつくなってくるとパーティーを見る余裕はなくなり、自分だけで精一杯になってしまった。
「リーダーには絶対的な体力が必要」
これは入山前に講師に厳しく言われていたことだが、身をもって感じた。 別山登攀の時もそうであったが、なにをするにしても体力的余裕がないと自己確保も、リーダーシップも読図も何もできないのだ。
こうして雪渓を詰めること1時間、いったん小休憩を入れ、源次郎尾根Ⅱ峰コルへの取りつきを探す。 ここで事前に測っておいたベアリングや、等高線や尾根のイメージから無事取りつくことができ、インディアンクーロアールに向かうことができた。
地形を頭に叩き込んでおくことが如何に重要か。読図が合っているときはこの上なく嬉しい。
(この時期の平蔵谷にはいたるところにデブリがあり、クラックが走っていた。更には雪渓特有の無音の落石も見られ、絶対に長い休憩や装備解除はできない。)
ここからは斜度もかなりきつく、滑落すると危険なのでFIXを張ることにした。
ここで油断していたのは、クラックに被る雪庇である。1ピッチ目のビレイを行った近くにはぱっくり割れ、深いからか青く見える、不気味なクラックがあり、そこに覆いかぶさるように雪庇が張り出すことで、クラックの入口を見つけにくくしていた。
ここでピケットを縦埋めにしたところ明らかに決まらないので、よーく確認したら雪庇の上だった。雪庇の怖さを身をもって感じた。支点の強度も重要だが、支点をとる箇所の強度も意識しないと命取りになる。当たり前かもしれないが、忘れてはならない。
(登攀する自分)
その後もFIXを張りながら(おそらく計8ピッチほど)登攀し、源次郎尾根Ⅱ峰のコルに合流した。
インディアンクーロアールはかなり斜度がきつく(MAX50°くらい?)、しかも雪面が硬かったためFIX工作はかなり手こずった。このピッチではスノーピケット縦埋めで支点をとった。
ここでもリードとビレイを多く経験することができ、さらにFIXを張るか否かの判断を学ぶことができた。リーダーとしてここは張らなくて良いのではと主張した箇所もいくつかあったが、研修かつ時間の都合で多めに張ったため、結果としてピッチ数は多くなった。おそらく本峰まで計11ピッチ。
源次郎尾根に乗れば、あとは劔本峰につき上げるように尾根を登高していくのみ。本峰手前はかなり急斜面だった。
最後のFIXを通過し、10時半ごろ剱岳山頂に到着した。
山頂では素晴らしい展望が広がっていたが、帰幕時刻が迫っていたため、軽く休憩をとった後に出発した。
山頂~別山尾根方面はやせ尾根だったが、コンティニュアンスによる確保で通過し、何か所か岩場を通過した後、エビルンゼから下降することに。カニの横ばいの隣にあるルンゼなので、エビルンゼというらしい。
エビルンゼ序盤はシリセードで下降したが、この時私はシリセードを制御しきれず、数m滑落してしまう。なんとか滑落停止で止めたものの、なかなか恐ろしい経験であった。
その後は急峻なルンゼが続くようだったので懸垂下降をすることに。ここでは支点に取れそうなハイマツやピナクルは発見できなかったため、土嚢袋とボラードを支点にしてそれぞれ1ピッチずつ下降した。
今回持参した捨て縄は太く、雪を詰めた土嚢袋を結ぶには向いていなかったため、メンバーが持参していた細引きを用いて土嚢袋を結び、支点に用いたが、細引きではかなり心細かった。 研修では捨て縄は団装であったが、個人で持参するときには径や長さを数種類持っていくべきだと感じた。 細引きと土嚢袋は残置。
無事懸垂が終わり、平蔵谷に合流した後はアイゼンを脱ぎ、平蔵谷出合いまでシリセードで下降した。途中、クラックが大きく口をあけている箇所も多々あり、ヒヤッとする場面もあったが、無事に通過。平蔵谷出合いで休憩をとった。
ここから劔沢雪渓の登りか返しが続いたが、出発時と違って雪はデロデロになっていたため、思うように進めず、疲労のせいか足を蹴りこむことができない。
ここで講師の厳しい激が飛び、夏山前進基地まで全速力で登り返すことに。ボロボロになりながら夏山前進基地についたら今度はBCまで競走の指示が。
正直この時点でかなりキツく、ダッシュ中に仲間が1人倒れてしまった。自分も這いつくばりながらBCに戻ったが、10分ほどは寝そべったまま、起きることができなかった。
仲間の1人がシャリばて&水分不足で夏山前進基地に搬送されるのを見て、山の厳しさを実感した。
その後、「各班1人1Lほど水を飲むように」と無線連絡がきたが、その連絡から伝わる水分補給の重要さは今でも忘れられない。(仲間は無事夕食から復活 🙂 )
休憩後、溶け始めた防護壁を補強し、テン場の整地もやり直した。
(テント内で夕食と水つくり)
夕食は麻婆豆腐だったがこれがめちゃくちゃ旨い。因みに豆腐は破裂防止のために真空パックのものを用いた。
その後テント内で講師と反省会を行い、明日の搬送訓練に備え、就寝した。他の仲間と、講師からはリーダーとしてしっかり判断できていたと言われ、嬉しかったが、改善点(特に体力)はまだまだあると感じた。
(余談だが、BC近くには夏期用のトイレが設置されており、残雪期であったが使用できた。このトイレだが、夜や早朝は床に厚さ3㎝ほどの氷が張るため、油断していると滑って転び、汚物に突っ込むorトイレ(ただの穴)に落下してしまう。いかに自己確保をしながら催すかがについてテント内では大いに盛り上がった。結論はアイゼンとピッケルをもってトイレに行こうだっけな??)
5/23(木)研修6日目
天候:快晴 下山日 (テント撤収し、アイゼン、ハーネスを付ける班員)
起床は2時半。この日は搬送訓練をしたのちに室堂まで下山する。朝食後30分ほどでパッキングとテント撤収を済ませ、5時前には劔沢BCを後にする。その後別山乗越を通過し、雷鳥沢南方面の尾根を下降する。
ここでアイゼンワークについて講師から指導を受けた。
雷鳥沢野営場手前からシート搬送を開始。
シート搬送は仲間のうち一人がツエルトに包まり、それをロープやスリングで結束し、残りのメンバーで引きながら搬送するというものだ。
これが想像以上に疲れるし、全く進まない。斜度30ほどの場所を搬送していたため、後半は雪面にピッケルを刺し、這いながら搬送した。
搬送訓練を2時間半ほど行った後、登ってきた斜面を下り、今度は2人1組で背負い搬送で競走することに。私はここで潰れてしまった。何とか這いつくばりながら、搬送を終えると、ここで下山時刻のタイムリミットがきた。
そこから室堂まで急ぎ足で向かう。みくりが池以降は観光客が多く、重装備でボロボロになった私たちはひと際浮いた存在であった。
室堂についてしばらくすると、ほかの班も続々と到着。地獄の訓練?を切り抜けた同士なぜか感動しあっていた。この時1班のメンバーが雪とポカリの粉で作ったシャーベットは最高にうまかった! ←完全な余談。
下山後、登山研修所まで戻り、研修所内のパッキング室で装備点検を行う。その後、反省会で講師と仲間で本山行や今後の活動について話し合った。
最後は閉会式で再度所長のありがたいお話?を聞き、修了証を受け取って解散した。
(装備チェック)
(下山式?)
こうして6日間の文登研春山リーダー研修は終了したのである。
本研修に参加し、学んだことは多すぎてここに書ききれない。それは山岳に関する技術や知識だけではなく、山への向き合い方や普段のトレーニング、仲間とのかかわり方など多岐に渡る。また、講師のおっしゃる言葉のすべてに経験に基づく深い意味があり、自分が今まで曖昧にしていたことや、真面目に取り組んでいなかった部分が浮き彫りになった。学んだことは山とか関係なしに自分の人生において宝物になったことは間違いない。
最後に、奥田仁一、加藤直之講師、本当にありがとうございました。
そして共に過ごした5人の仲間には感謝したい。山で会おう!
来年は誰を送ろうかな?(笑)
<番外編>
解散後、富山駅で夜行バス待ちの仲間と合流し、打ち上げを行うことに。まず向かった先は富山駅の好日山荘ww もう笑うしかない。お前ら今下山したばっかだろっww
やっぱり文登研に来る奴はみんな山キチだ。最高!!
なんだかんだ1時間半ほど装備の話で盛り上がった後、富山名物のブラックラーメンを頂いた。味は?って、下山後は何でも旨いだろっ!! 実際美味しかった。
お店では何故かうちの班(2班)の話題に。自分たちでは気づかなかったが、相当斜度のある箇所を搬送していたらしい。他にも講師の厳しい指導について大いに盛り上がった。
しばらくすると、皆夜行バスの時間になり1人1人帰宅していった。最後まで残っていた俺らが、乗り場を間違え予約していたバスに乗れず、翌日の新幹線で帰ったことを他の仲間は知る由もない…。
―完結―
文責:2年会 石川
<おまけ>
剱岳から見えた山々(つくってみました)
(ナイフリッジと後立山連峰)
(白馬三山)
文登研の中で発見。これってまさか?
そう。ドアストッパーに古いハーケンを使用。さすが国の登山用施設!!